目を背けたくなるほどの愛が転がり落ちる先にあるものはー?『愛しのアイリーン』

愛しのアイリーン

2018年の映画『愛しのアイリーン』を見ました。監督は吉田恵輔監督。

『さんかく』『ばしゃ馬さんとビッグマウス』はすき。『麦子さんと』、あんまり覚えてない(『もらとりあむたま子』とごっちゃになる)。『ヒメアノ~ル』、原作のほうがすき。で、しばらく見ていなかったのですが(『犬猿』はきになっていたけど未見)。久しぶりに見たら痺れました。

原作の新井英樹も大好き。ただ、映画化はすごく難しそうだとも思っていたのですが、そんなことなかった。

まず、キャスティング。

主人公の岩男を演じるのは安田顕さん。今まで演技をあまり注目してみたことがなかったことに気付くが、田舎の気弱な男がちょっとの嚙み合わせのズレで膨らみ続ける怒りの感情に飲み込まれていく、というキャラクターを素晴らしく演じていたと思います。また、アイリーンを演じていたナッツ・シトイさんを探し出すのもめちゃくちゃ大変だっただろう。それくらい、この人じゃなきゃできなかった、というくらいぴったりしている。『さんかく』の小野恵令奈を思い出すくらい(よく考えてみれば、高岡蒼佑と小野恵令奈が芸能界を引退しており、主要キャラの2/3はもうスクリーンで見ることができないという、わりと稀有な映画でもある。関係ないが)。

脇を固めるキャストもよい。岩男のお母さんを演じている木野花さん。言い方が悪いが、田舎のクソババアをよく演じていた。イメージのなかでは知的でしゃんとした人なのだが。そして、フィリピンでのお見合いの手引きをしていた竜野を演じる田中要次さん。やはり抜群にうまい。話している言葉が聞きやすく、その人となりを勝手に想像してしまうキャラクターの完成度の高さ。

そして、伊勢谷友介である。難しいのが、伊勢谷友介さんを見るとどうしても「あ、薬…」「逮捕…」「そういや警察署から出てきた時にメントスコーラを渡されてたなぁ…」「『翔んで埼玉』でガクトとキスしていたけど、あれなんだったんだ…」などと、チラチラどうでもいい考えが浮かぶ。でもすごいのが、この人の演技はそういう考えを払拭することができるレベルだということ。

個人的に、クソ男を演じている時の伊勢谷友介は一級品だと思う(逆に、普通の役の時には何も感じない… 私はですけど)。『害虫』の、宮崎あおいを言葉巧みに堕とそうとするスカウトマン?みたいな役が印象深い。この映画ではフィリピンと日本人のミックスとして生まれ、母が体を売った金で育てられ、結果として歪み、チンピラになってフィリピン人女性を風俗に落とすだけのどうしようもない男という役柄。

当初、アイリーンの恋のお相手になるのかと思いきや、無理やり彼女を拉致してしまうという衝撃の行動に走るのだ。風俗に売り飛ばそうとしていたのか、駆け落ちするつもりだったのかはわからない。しかし、彼はアイリーンに何かを感じていたのに(岩男よりはよほどピュアな感情ともいえる)、無残に岩男に射殺される。そして彼の死が、岩男とアイリーンの“愛”を発展させるとともに、その形を醜く変えていくエッセンスとなってしまうのだ。

関係ないですけど、同僚役の古賀シュウさんもよかったですよ。抜擢された経緯は知らんが。

次に記しておきたいのが、やはりストーリーである。

原作は未読!というのも、めちゃくちゃ気持ちを引っ張られるので家にも置いていないし、何度も読み返してもいない(『ザ・ワールド・イズ・マイン』だけ読み返しています)。なので比較はできませんが、ものすごいものを見てしまったという気持ち。

同僚に恋していたものの、彼女がヤリ〇ンだったことを知り、フィリピンのお見合いツアーに参加してなんの思い入れもない女の子と結婚した岩男。性欲丸出しで彼女に迫るものの、彼女は恋をしたこともないような女の子なので、当然進展しない。アイリーンは好きな男性と初夜を迎えたいと思うものの、金と引き換えに結婚した立場のため、岩男から離れることもない。

しかし、塩崎がアイリーンを拉致(岩男の母が日本人と再婚させようと、塩崎と結託していた)し、その彼を岩男が射殺したことで2人の関係が進展。初めての夜を迎え、夫婦らしい関係になっていく。

だが、岩男は塩崎の仲間に目をつけられて嫌がらせをされるようになり、精神的に病んでいく。そして、アイリーンの不倫を疑い、彼女に対して粗暴な振る舞いをとるようになる。傷つきながらも従うアイリーン。同僚との不倫に溺れていく岩男。

そして迎えた冬。岩男は突然、神社の裏で凍死しているところをアイリーンに発見される。木々にはひたすら「アイリーン」と彫り込まれていた。息子の死を知った母は冬山で自殺しようとするが、アイリーンの説得により自宅に戻ることに。が、そのまま雪山で死亡してしまう。

ひとり雪山を歩くアイリーンの耳の中には、かつて初めてキスをした時の岩男の言葉が響いていた…

という流れでした。

ただ、漫画ならなんとなく読んじゃうかもだけど、映画だと「んっ?」ってなるところはありますね。岩男の母が2人が初めて人を殺した夜に結ばれる様を目の当たりにして(居間の横でおっぱじまったので)久しぶりに月経が来るシーンとか、岩男の再婚(予定)お見合い相手の女性が昼間の駐車場で〇慰を強制されて意外とノリノリ感出すシーンとか。

まぁそんな話はおいておきます。

この映画で恐ろしいこと。2つあった。

ひとつは自分の価値観がゆさぶられること。

そしてもうひとつは、愛についてひたすら考えさせられるということ。

価値観についてですが、もともとアイリーンは日本語がしゃべれないため、当初はたどたどしい言葉遣いと無邪気な態度で、子供のようにかわいらしく描かれます。でも、フィリピンパブで自国語を話している時の彼女は普通の女性であり、成熟した大人なのだとわからせられる。ちょっとでも「かわいらしい」「無邪気」と思った自分が恥ずかしい。

もうひとつの、愛について。もともと契約結婚に近い結びつきだったものの、2人ともだんだんとお互いを知り、恋とはまた違うルートで夫婦になっていくように見える。しかし、殺人と死体遺棄の共犯になったという衝撃と興奮で一気に結ばれてしまった2人は、ヤクザへの恐怖やアイリーンの心変わりへの不安に飲み込まれた岩男の態度の急変によって、また離れていってしまう。アイリーンは岩男を愛するしかないのに。岩男は自分がかつてあっけらかんと口にできていた愛情を示すことができず、ひたすら鬱々とするしかない。

もしも、何かがひとつ違っていたら?こんなバッドエンドを迎えることもなかったのか?それともこれは必然なのか?

「人を愛する」という言葉は気恥ずかしく、時にチープで青臭く、説教の言葉のように聞こえる。しかしこの映画では、その激しさが滝のようにうねりながら画面を見つめている側になだれ込んできて、遠慮なく全身を打ちのめし、洗い上げていくような奇妙な感覚がある。

こんな恋愛は絶対にしたくないし、こんな愛し方も愛され方も間違っている。しかし、それでもどこかでこの愛のかたちに憧れてしまうのはなぜなのだろうか。などと思ってしまいました。おわり。