2020年の映画『魔女がいっぱい』を見ました。
途中まで全然気付いていなかったのですが、原作がロアルド・ダールの児童文学でして、私もよく読んでいた本でした。ストーリーはおばあちゃんと暮らす「ぼく」がホテルで魔女と出会い、全世界の子供たちをネズミに変えようとしているという計画を耳にしてしまう。そして彼もネズミに変えられてしまう… というもの。
魔女やその集会の描写がとにかく禍々しく、怖いし気色が悪いし、何よりバッドエンド(考えようによってはバッドエンドでもないのかもしれないが、子供にとっちゃあバッドです)なので、非常に後味が悪く、それゆえにしっかり覚えていた次第です。
アン・ハサウェイが演じているのが大魔女。手足の指が人間より少なく、毛が生えておらず(つるっぱげ)、子供が大嫌いという習性をもっています。この指の描写が障碍者差別につながると炎上していた記憶がありますが… ここら辺は難しい問題ですよね。かなり古い作品で悪意がないことも想像がつく。ただ、イヤな気持ちになる人がいるだろうなというのもわかる。
この映画でもストーリーはそのままに、魔女の計画を止めようと奮闘するおばあちゃんと元子供のネズミ3匹の姿が描かれています。
ただ、残念ながらこの作品、私は原作のほうが怖かった。イラストがまずめちゃ怖いっていうのもあるんですけど、脳内保管された気色悪い感覚が映画だと足らない気がしました。妄想には勝てないってところでしょうか。
あと、ストーリーがそこまで複雑ではないので、映画化するにあたってわりと引き延ばしているというか、薄めているというか… 私がストーリー思い出しちゃったというのもあるんでしょうけど、途中でダレてきてしまったのは大人だから?? 短編アニメでよかったのに~という気持ちしかない。
ラストも原作のままですが、ぶっちゃけネズミから戻れない「ぼく」は「おばあちゃんと同じくらいに死ねるならいいや」というようなことを明るく言い放ちます。
この発言が、本を読んでいた時にはすごく重かった。
「えっ、2~3年で死ぬかもって言ってるのに怖くないの…?」
「考えることを放棄した…?」「それとも死をわかっていない…?」
「いや、あえての『生死に執着するべきではない』という生き様…?」
とめちゃくちゃ考えさせられたのですが、映画ではサラッとした感じで終わり。それよりもネズミが自宅に作られたジェットコースターで遊んでいるという謎スゴイCGのほうがインパクトあります。わたしゃ別にネズミがジェットコースターに乗ろうがティーパーティーしてようがなんでもいいのですが、子供へのサービスなのかしらね。
いい点を挙げるとすれば、おばあちゃんを演じているオクタヴィア・スペンサーが想像通りのおばあちゃんを演じてくれたこと。優しくて厳しくてあったかい、キュートなおばあちゃんでした。
あと、吹替声優さんも豪華ですね。「ぼく」と同じくネズミに変えられたブルーノを演じていたのが、『おかあさんといっしょ』でムームーを演じている声優さんでした。「ぼく」を演じていたのは千葉繫さんなんですけど、ネズミも声変わりするんだなぁ… と思いました。子供の時の声はめちゃかわいいです。
セットやCGもすごかったし、アン・ハサウェイも素敵だったけど、なんですかねぇ。デル・トロが関わってるから期待しすぎちゃったのかしら。